屋我地大橋。沖縄にも南海トラフ地震の影響はあるのか?津波は?

今回は屋我地大橋についてです。


一番最初の初代屋我地大橋は1953年に完成しました。


しかしながら、1960年のチリ地震の津波で流されてしまいました。


次いで1963年に2代目が完成しています。

この橋は30年もの間、活躍しましたが、幅員が5.5メートルと極端に狭く、歩道が整備されていなかったことや老朽化から取り壊されることとなりました。


そして、1993年に現在の屋我地大橋が完成しました。

屋我地島とは、本橋、羽地奥武橋で奥武島を経由し、沖縄本島と繋がれています。

3代目の橋は幅員が12メートルで歩道もあります。

そして、2010年にワルミ大橋が完成するまでは、長年にわたり本島と屋我地島を結ぶ唯一の橋として活躍しました。

そしても今でも、歩行者の安全確保、交通需要への対応はもとより、屋我地島、古宇利島
における観光資源の開発、教育、医療、福祉の向上など島の振興に大きく寄与しているとされています。


沖縄県のホームページでも紹介されていますが、修景のコンセプトとして、橋の構造形態、周辺環境との調和を図ることとし、羽地内海の優美な自然の色彩
と対立しないよう全体的に灰色系で、有彩色はブルー系のみとしているそうです。

私は特に端の親柱部分、屋我地大橋と刻印のあるところのブルーのガラスタイルが素敵だと思います。

さて、このように津波で流された歴史のある屋我地大橋ですが、南海トラフ地震での影響はあるのでしょうか。

チリ地震の際には以前の記事にあるように、震源から反対側である西海岸まで影響を受けており、同様に南海トラフ地震においても、津波には警戒が必要だと思われます。

また、津波の予測については、

沖縄県の発表する”沖縄県津波被害想定調査(平成25年3月)の津波浸水予測図について”

を参照にしますと、屋我地島のピンポイントの予測はありませんが、大宜見、今帰仁では最大で5~10mの津波の最大遡上高が想定されています。最大遡上高なので、その津波の高さではないのですが、それでも大変な事です。

なお、この想定は最大最悪クラスの想定であり、

震源としては、南海トラフではなく、沖縄近海である、南西諸島海溝(琉球海溝)側、沖縄トラフ側ならびに 1771 年の八重山地震の震源として想定した断層等、計 15 断層が設定されています。

 1771 年の八重山地震による巨大津波がどれほど明確な情報かどうかは難しいところですし、沖縄本島沿岸において巨大津波の痕跡や史実は確認されていないようですが、やはり最大限に警戒しておくことは重要です。


最近は何十年に1回の・・・、何百年に一回の・・・、観測史上初めての。。。

などなど、今まで想定することの出来なかった自然災害が続出しています。

気をつけるに越したことはないですね。



屋我地島は、沖縄北部、本部半島の北東に位置し、羽地内海に浮かぶ島です。
沖縄で唯一、三つの大橋がかかる島で、沖縄本島と屋我地大橋で結ばれ、さらに古宇利大橋で今帰仁村に属する古宇利島と、また今帰仁村運天側の本島との間はワルミ大橋で結ばれています。
島内は、済井出・饒平名・屋我・運天原・我部の5つの集落に別れ、済井出に最大の集落があります。
自然が多く残る、風光明媚な島で、サトウキビ畑や、琉球赤瓦などを用いた古民家などが点在し、昔ながらの沖縄の風景を楽しめます。
また、饒平名(よへな)の干潟には、オヒルギ(マングローブ)などの植物が群生し、数多くの生き物が生息しています。干潟域を中心に多くの渡り鳥が飛来し、屋我地島全域と周辺海域、羽地内海が国指定屋我地鳥獣保護区(集団渡来地)に指定されています。
最近では民泊施設もふえ、宿泊も可能になりましたし、カフェややちむんのお店、綺麗なビーチもあり、観光としても穴場スポットでおすすめです。
隣の古宇利島はすでに有名で、人が溢れていますが、情緒のある屋我地でゆったり過ごすのも良いと思います。
沖縄に来られた際には、是非屋我地島を散策してみてくださいね!


【公式】~SEASIDE YAGAJI~ ララコートシーサイド屋我地 沖縄北部、古宇利島と本島を結ぶ屋我地島にあるオーシャンフロントコンドミニアムホテル

沖縄北部名護市、屋我地島の隠れ家コンドミニアムホテル。海に浮かぶようなオーシャンフロントのお部屋からは絶景オーシャンビューが楽しめます。アイランドキッチンで海を見ながら調理もでき、お子様連れや長期滞在の方にもお勧め。非接触型チェックインで誰にも会わずに、まるでご自身の別荘のようなステイができます。駐車場2台あり。※本サイトはアフェリエイト広告を含んでいます。